都会の真ん中に海の環境を「移送」して、海洋研究を効率化。環境改善のスピードアップに取り組む株式会社イノカ【インタビュー】
海洋生物種のうち約25%が住んでいると言われるサンゴ礁が、地球温暖化の影響により消失のリスクにさらされています。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、2018年に発表した1.5℃特別報告書の中で、地球温暖化が1.5℃進んだ場合、サンゴ礁の7〜9割が失われる可能性があると発表しています。さらに、地球温暖化が2℃進んだ場合はサンゴ礁の99%が消失してしまうと指摘しています。
サンゴ礁が大幅に減少することによる海洋生態系への影響は計り知れません。一方で、サンゴの生態系に関する研究はこれまであまり進められていませんでした。背景には、サンゴは繊細な生き物であるため飼育しづらく、実験を行うことが難しいという事情があります。
このような中、人間の活動が海やサンゴに与える影響を研究する企業が、株式会社イノカ(以下、イノカ)です。2022年2月、技術的に難しいと言われていたサンゴの人工産卵の実験に成功しました。
「海の環境を改善し、自然の持つ価値を高める」を事業の軸とするイノカの技術がどのように役立てられているのか、COOの竹内さんにお話を伺いました。
話し手:株式会社イノカ 竹内四季さん
1994年生まれ。鹿児島県出身。東京大学経済学部卒業。学生時代は障がい者雇用に関する先進企業事例を研究し、社会起業家を志す。人材系メガベンチャーでの営業経験を経て、2020年2月にCOOとしてイノカに合流し、事業開発・パブリックリレーションズ全般を管掌。
目次
- 海洋の研究がどこでも可能になる「環境移送技術」
- ビジネスの方向性が見えなかった創業期
- 海への影響を水槽で調べる「海洋治験サービス」
- 世界を代表する海洋環境の研究機関を目指す
- 自然資本を、もっと身近にしていきたい
- テクノロジーを活用して自然を取り戻す
- 編集後記
1 海洋の研究がどこでも可能になる「環境移送技術」
イノカの技術の主軸は、人工的に海の環境を水槽内に作り出すことです。サンゴの飼育・繁殖が可能な程の再現性の高さから「環境移送技術」と呼ばれており、都会の真ん中や山奥など、どこにでも海の環境を「移送」できます。サンゴの健康状態を把握するための画像認識AIなどのテクノロジーと、水槽管理の専門家の経験やノウハウによって、環境移送技術は支えられています。
サンゴの生態は解明されていないことが多い上、温度、光、微量元素、水流などのバランスが取れた状態を保たないと死んでしまう、飼育が非常に難しい生物です。サンゴの産卵実験の様子を、竹内さんは話してくれました。
「温度変化の技術によって、実験が成功しました。具体的には、特定のエリアの海を想定して温度や光を調整し、そのエリアに似せた環境をつくります。1日の日照時間はシステムで再現し、光の波長もそのエリアに近くなるよう調整して、擬似環境を作り出すのです。その環境でサンゴなどの生き物を育て、生態系を安定させ、安定してきたら温度を変化させて季節をつくるのです。冬の状態からだんだん温度を上げ、初夏ごろまでを再現したところ、産卵に至りました。変化させたのが温度だけでしたので、サンゴの産卵は温度がトリガーになっていることがこの実験でわかったことですね。」
環境移送技術を使うことで、海に流れる物質などが海洋環境におよぼす影響を水槽の中で研究できます。また、少しずつ状態を変えた海を何種類も再現できることも強みです。水温、水流、照明などパラメーターを少しずつずらして同時並行で研究を進めることで、スピードが格段に上がります。例えば、「今の沖縄の海」と「今より温度が1度高い沖縄の海」を同時に再現し、比較して実験・評価することも可能です。
2 ビジネスの方向性が見えなかった創業期
サンゴ飼育の高い技術を誇るイノカですが、創業時は方向性を模索する時期が続いていたそうです。
「もともとの原動力は、自然の素晴らしさや海の生物の面白さをみんなに知ってほしいという思いでした。一方で、収益を生む事業としての方向性は3年ほど見えてきませんでした。その時期はなかなかサンゴを活用した事業が収益に繋がらず、AIの受託開発など別軸の事業が本業のようになっていました。」
ヒントをつかんだのは、海洋に関する研究者の方と話した時だったそうです。海の環境は、天気の変化や波の変化などで複雑に動いており、要素が固定されません。研究をしたくても論文としてまとめづらいという悩みがわかり「現実の海を再現した研究環境が必要だ」というニーズをとらえられたそうです。
「この1~2年で、閉鎖生態系(現実の海のような開かれた環境の生態系ではなく、水槽の中での閉じた生態系)が、これだけ役に立てるのだという確信を持てました。」
海の生き物が好きというパッションと、世の中の環境に対する意識の高まりがマッチし、イノカにしかできないことを見つけられたと言います。
3 海への影響を水槽で調べる「海洋治験サービス」
閉鎖生態系に対するニーズを捉えたのが、主軸事業である「海洋治験サービス」です。
「たとえば、日焼け止めがサンゴに悪影響を及ぼすと指摘される中、化粧品メーカーは海に優しい日焼け止めを開発したいと考えています。しかし、海への影響度合いを調べるために、実際の海に日焼け止めを垂れ流すわけにはいきません。水槽の中で実験すれば良いのですが、これまでは人工海水を使ってサンゴを飼育できなかったため、海水がすぐに手に入る海の近くの研究所などの限られた場所でしか実験できませんでした。イノカの海洋治験サービスでは、特定の物質が海洋生物にどのような影響を与えるかという影響評価の実験を、人工海水を使った水槽内の擬似環境下で行えます。」
すでに、企業や自治体との協業は始まっています。2023年4月には、資生堂との共同研究に向けた連携協定が締結され、化粧品の成分がサンゴ礁をはじめとした海洋環境に与える影響を研究・評価するというプロジェクトが始動しました。また、JFEスチールとの取り組みでは、製鉄の過程で発生する鉄鋼スラグという副産物にサンゴが着生しやすいといったポジティブな側面に着目した研究を行っており、サンゴ礁の回復への期待が寄せられています。
4 世界を代表する海洋環境の研究機関を目指す
「失われつつある自然を回復させるためには、研究が圧倒的に足りていない」と、竹内さんは話します。
「サンゴをイノカの研究所で育てて海に戻したとしても、環境が悪化すればサンゴは死んでしまいます。たとえば温度変化に強いサンゴの品種を作る、サンゴの状態が悪化した場合に、回復させる物質を特定する、といった地道な研究がもっと必要です。現在、イノカのような研究を行う機関はほとんどありません。世界を代表する海洋環境の研究機関を目指したいです。」
そのための計画も、実現に向けて着手しています。
「世界中の海の環境を再現した研究ができる施設を構想しています。様々な企業との共同研究を行う次世代型の研究機関を2027年に作りたいと構想しています。私達は『アクアトープ』と呼んでいて、これがその予想図です。」
そう言って、1枚の絵を見せてくれました。今回訪問したオフィスは2023年10月に移転したばかりだそうですが、今のオフィスもアクアトープのイメージに沿って設計をしていると言います。
「一般の方が研究の様子を見に来られるようにもしていきたいです。たくさんの人に海の素晴らしさを知ってもらえる場所にできたら良いですね。」
研究・エンタメ・教育がひとつになり、多くの人でにぎわうアクアトープの様子が目に浮かびます。
5 自然資本を、もっと身近にしていきたい
イノカの手掛ける領域における課題の1つは、「生物多様性や自然資本に対する世論を作っていくこと」だと言います。
「海洋生物の多様性からは、世界全体で年間数百兆円の規模の経済価値が創出されています。イメージしやすいのは漁場や観光といった価値かもしれませんが、海洋生物がガンなどの薬の開発に役立つ可能性がある等、あまり知られていない部分で生み出されている価値もあります。海洋生物については研究が進んでいない部分も多く、潜在的な価値も秘めています。」
生態系を取り巻く課題や可能性を知ってもらうため、イノカでは教育事業を行っています。ショッピングモールなどに出張し、最近は毎週のように教育イベントを開催しているそうです。自由研究の題材にもなることから人気を集め、参加者は3年間で1万人以上になりました。
「子ども向けのイベントですが、同席される大人の方も新たな気付きを得られることが多いようです。大人も子ども楽しみながら、生物や環境が持つ価値を考える機会にしてもらいたいです。」
6 テクノロジーを活用して自然を取り戻す
イノカが思い描く理想の未来は、「テクノロジーを活用して、便利さと環境保全を両立させる」という姿です。
「人と自然の共存、という切り口で語られる時、文明を捨てて昔に戻れば良いと言われることもあります。しかし、テクノロジーの力で失われつつある自然を取り戻し、自然が持つ価値を生かせれば、より良い未来になるのではないでしょうか。」
かつては技術の進歩により環境を破壊してきたと言われていましたが、今後は技術が自然を守り、再生する時代になっていくのかもしれません。
7 編集後記
大学卒業後は人材系の企業で営業職をしていたという竹内さんは、社会課題を解決したいという軸でキャリアを考えていたところ、サークルの同級生の高倉さんが会社を立ち上げたことを知ったそうです。当時、事業化に課題を抱えていたイノカに、営業や事業開発の経験を持つ竹内さんが、アドバイザーとして関わったことがイノカに参画するきっかけだったと言います。
「約1年間はボランティアのような形で手伝っていましたが、地球規模の課題を、ユニークな発想と技術で解決しようとしていて面白そうだったことが参画の決め手です。」と、竹内さんは話します。
「人によっては、海は遠い存在に思えるかもしれません。しかし、たとえば企業なら、バリューチェーンやサプライチェーンのどこかで、海と関わる部分があるのです。」
海の環境を守ることは、単なる自然保護活動ではなく、経済的な側面からも求められています。海洋生態系を守りながら持続可能な経済活動を目指すという「ブルーエコノミー(海洋経済)」という考え方やムーブメントも生まれてきています。最初は事業としての糸口が見つからなかったというイノカが軌道に乗り始めたことからも、その様子がうかがえるような気がします。
私たちの暮らしが海とどう繋がっているのか、自分自身でも考えたいと思いました。
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